ミラノ(Milano)は、イタリアの都市で、ミラノ県の県都およびロンバルディア州の州都である。ヨーロッパ有数の世界都市。イタリア語のアクセントの関係でミラーノと記されることもある。ドイツ語ではマイラント(Mailand)、英語・フランス語ではミラン(Milan)、スペイン語ではミラン(Milán)と呼ばれる。
ミラノは日本の稚内市とほぼ同緯度に位置するが、最寒月の平均気温がおよそ5℃程度と、比較的温暖。イタリア全土では首都ローマに次ぎ第2位、北部イタリアにおいては最大の都市で商業、工業、金融の中心。観光地としても名高い。約390万人の居住者を擁するイタリア最大の都市圏を牽引している。1982年に1,607,804人いた人口はその後ドーナツ化現象で長く減り続けたが、ここ数年はおよそ130万人前後で落ち着いている(2006年5月31日時点の人口は1,303,670人)。
ミラノ・コレクションなどで知られるように古くから服飾・繊維産業などファッション関連の産業が盛んな土地柄であるが、近年は航空産業や自動車産業、精密機器工業なども発達しておりイタリア最大級の経済地域を形成している。
歴史
ミラノは古代にはメディオラヌムとよばれ、紀元前600年のケルト人の町を元にしている。前222年にローマによる征服があったが、そのどちらにもMediolanum(平原の真中)と呼ばれた。293年から402年まではMailandとも言われた。その後はローマ帝国のもとで繁栄し、4世紀、司教アンブロジウスと皇帝テオドシウス1世の時代には西ローマ帝国皇帝の宮殿が置かれ、西ローマ帝国の首都であった。450年ごろ、アッティラに指揮されたフン族の略奪をうけ、539年にはゴート族に破壊されたが、8世紀末ごろに再び繁栄し始めた。中世を通じてミラノは大司教に統治されたが、都市の独立性をある程度保ちながら、下層の封建貴族たちはしだいに大司教の世俗的支配から脱していった。東ゴート王国、東ローマ帝国、ランゴバルド王国の時代を過ぎ、11世紀にはそうした貴族たちがミラノを富裕な自治都市へと変化させ、成長の回復と神聖ローマ帝国からの独立を果たした。
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1162年、ミラノは神聖ローマ帝国のフリードリヒ1世の軍隊に破壊された。しかしすぐに復興し、ロンバルディア同盟を結成して、1176年にはレニャーノの近くでフリードリヒ1世を打ち破った。この勝利でミラノは新しい繁栄の時代を迎えた。中世後期とルネサンス時代にはミラノはヴィスコンティ家とスフォルツァ家の公国になった。1277年、貴族のヴィスコンティ家が、領主のデラ・トレ家からミラノの統治権をうばった。ヴィスコンティ家の支配は1447年まで続いたが、特に初代ミラノ公ジャン・ガレアッツォ(1351?1402年)の時代には繁栄を極め、黄金時代を迎えた。
1450年には軍人フランチェスコ・スフォルツァが権力を握り、ミラノの統治者としての地位を固めた。続いて息子ルドビコは学芸の保護にも熱心でレオナルド・ダ・ビンチをミラノに迎えた。しかし、15世紀の北部イタリアの拡張時代の後の1500年、フランス軍がこの町を占領。このときレオナルドもミラノを去るがのちに再訪、約二十数年の滞在はこの地にミラノ派とよばれる画派を生んだ。スフォルツァ家はフランス、スイス、オーストリアにあやつられながらも支配をつづけた。1535年にスフォルツァ家の血筋が途絶えると、ミラノはスペインの統治下にはいった。18世紀初頭のスペイン継承戦争後、1714年のラシュタット条約によってオーストリア・ハプスブルク家に帰属することになった。ナポレオンは1796年にオーストリア人を追い出し、ミラノをチザルピナ共和国の首都とした。
1815年、ロンバルド=ヴェネト王国としてオーストリアの手に戻ったミラノは、イタリアの抵抗運動の中心地となり、1848年には短期間だがオーストリア人を追放した。1859年、フランスの援助を受けたサルデーニャ王国が、ミラノをオーストリアから解放した。1861年にミラノはイタリア王国に加わり、引き続き発展した。1859年の第二次イタリア独立戦争の結果イタリア王国の一部に編入された。
第二次世界大戦中に連合国による激しい爆撃をうけたミラノは、戦後急速に発展して復興をとげた。ミラノは文化的にも戦後のモダン・デザインの発信地として知られ、国際デザイン美術展であるミラノ・トリエンナーレが開催されている。
経済
ミラノは化学工業と繊維産業ではイタリアの諸都市をリードし、航空機、自動車、機械やガラス、皮革、ゴム製品、製薬なども重要な産業である。出版業や音楽産業、数多くの銀行があつまり、イタリアの主要な株式取引所がある。また、毎年4月に国際貿易フェアが開催される。